カテゴリー「心と体」の3件の記事

2008年10月 5日 (日)

孤独症候群(長文)

仕事を忙しくして、休日は寝るだけの生活をしていた。怪我を取り返そうと、自分を犠牲にして働いた1ヶ月だった。

最近になって、行事も終え、仕事の量も落ち着きを見せ始めた。

そんなある日、ふと帰りの電車で猛烈な孤独感に襲われた。

そんなときは、いつも迷惑がられるが、親しい友達に電話をかけてしまう。

しかし、そんなときに限って誰も通じない、メールも返ってこない。

当たり前のはずだ、学生さんにとって一番忙しい時間帯にかけるんだから。

最終手段で、普段めったにかけない自宅の電話にかける。この際誰でもいい。

…しかし繋がらない。朝、夜に通夜があると言われたことを思い出す。


ふと周りを見渡すと、大勢人がいるホームの中で自分を知る人は誰もいない。

なにか、自分はこの世から消えてしまったような感覚に陥るのである。

とゆうのも朝の電車で、うとうとして寝た夢がまさにそれだったからである。


こんな夢を見た。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
夢の中で、自分は、朝の通勤電車に乗っていた。
夢の中と現実で、同じ行動をしていた。

電車に乗り込み、電車が出発する。

自分は何気なく前の座席のセーラー服の中学生を見ると、それは見覚えのある人だった。
話したことは無いが、確かに自分とは同じ中学の人で、その当時の格好をしている。

そこに疑問を抱かなかったが、周りを見渡すと、びっくりすることに知っている人ばかりなのである。

全員、高校、中学、小学校、その当時のみんながいた。とゆうか、自分が見た最後の姿のまんまだった。

それさえも、夢の中の自分はさほど驚かずにいた。

むしろちらちら見てくる、当時嫌いだった友達にイラっとしていたくらいだ。

次の駅に到着すると、その大半が降りていった。入れ替わりで、知らない人も入り混じるようになる。

2駅くらいそれを繰り返すと、知り合いはほどんどいなくなった。

そして、どこかの高校の女子高生が朝から声を張り上げて、しゃべっているのがいつもの光景であった。

その夢でも、それは再現されていた。

しかし、聞き取れないのである。

声の大きさではない、何を話しているかがわからない。

明らかに日本語ではない。

英語でもなさそうだし、自分では把握できない言語でじゃべっている。

気づくと、となりのこれから旅行に行くのであろう、老夫婦もしゃべっているが、何語だかわからない。

キョトンとしていると、電車のドアの上にある電光掲示板の文字も、見たことも無い模様をしていた。

電車の中を見渡すと、中吊り広告も無く、殺風景な車内になっていた。
ただ、朝日がやけに車内に入り込み、白い世界になっていた。


ただ唯一車内にあった、壁に貼られていたどこかで見たことがある、何十年前のお酒の広告を見つめながら、本能的に夢の中で、自分は死んだんだ。これが走馬灯なのかなぁ?とぼんやり思う。

そうしていると、見慣れたホームが見えてきた、目的の駅のホームだ。

無意識に立ち上がり、ドアに歩き始めると、ポンポンと肩をたたかれる。

「あぁ、現実に戻れないのか、やっぱ死ぬのか?」と思い、

振り返ると、ランドセルを背負った小学生だった。

その小学生は、ただ笑うだけで、引き止めるつもりなさそうだった。

そうするとドアが開き、恐怖からか逃げ出そうとしたとき、

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

目が覚めたのである。

自分は、終点の駅で駅員さんに肩をたたかれたのであった。

あまりにも、夢と現実が近かったためにしばらく呆然としていた。

「車内清掃しますので、一度お降りになってください」といわれ、急いで電車を降りた。
恥ずかしいやら、何が起こっているのだかわからなかった。だた、こっちの現実は、曇り空で肌寒いことだけが、夢の世界でないことの証明だった。

急いで、学校の職員室に電話をかけ、教頭に事情を説明し、さっき乗り過ごした電車が折り返し運転をするので、それで戻ることにした。幸いなことに目的駅と近かった。

まだ、頭では混乱していたが、折り返しの電車の中で、さっきの夢の内容を手帳に書き殴った。今はそれをもとに書いている。

今考えると、肩をたたいた小学生は知っている友達なのかも知れない。

そいつが、神様か死神かは定かでないが。


そんなことがあった、朝。

孤独感に襲われてる、帰り道。

自分を知っていると、誰かに言って欲しかった。ただそれだけだった。


そんなときにかかってきた、おまえさんの電話で助かったよ。

ちょっと涙声だったのは、気にはしないで欲しい。

みんな一人じゃない、一人なんかじゃない。

ではでは

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月28日 (金)

そうゆうもんかもしれない

バイトを始めて、疲れて更新ができませんでした。

今年も終わりに近づいていく中、最近精神が不安定になりつつある。

そんなおおげさなことはいわなくても、嬉しいときに不安が混じり、不安なときにどこかすぐ壊れそうな安堵感を求めたり、いまいちすっきりしない。

そんな日なのかもしれない。

不安だからどうにかして解決したいと思い、考えていると、何か解決方法が見つかる。そのときは言いようも無い、喜びがある。それが今、その解決方法が崩れたとき、振り出しに戻り、また不安に襲われる恐怖と虚しさが、今の自分を襲うのである。

友達と話したり、彼女と話したり、その時は忘れられるのだが、ふと一人になると、これに包まれる。

どうしようもないのだろうか・・

どうしようもないのである

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月21日 (金)

あぁどんどん溶けてゆく

すいません、三日周期で来る「鬱」が、また全米を震撼させたあと、一休みして、うちにやってきそうです。

どうして、”嬉しいこと”は、「悔しいこと」とか「嫌な事」のように、長く続かないのだろうか?。なぜ、いつまでも、晴れない気持ちでいなければならないのか?

なぜ、悔しいこととか嫌な事は納得して、受け入れられるのに。嬉しいことは、さーーと消えて無くなってしまうのだろうか?

自分が、何をしたら、ずっと幸せなのかわかんなくなってきた。ずっと前の「小さな嫌な事」は形を変えながらも、頭の片隅にずっと、ずっとあるのに。

とまぁ、そんなもんです。

ほら感情を文章にすると、他人には「しらねぇよ」の世界になっちゃいますがね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)